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蛇足です

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月14日(日)09時15分17秒
返信・引用
  ミヨシを付け損なって落ちてきたときは、もちろん体で受け止めるんですよね。  

西町神輿

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月13日(土)22時22分2秒
返信・引用
  たぶんこの写真の儀式の時間は、御旅所へ向かって歩いていたころかな??
秋祭りのパンフレットとにらめっこして、やっと御旅所に近づいたら神輿の行列・・・

そんな思い出があります。
 

四日市祭の神事のこと

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月13日(土)11時31分13秒
返信・引用
  >そういえば手前の赤いTシャツの人とよく似たTシャツがウチにもありますよ(笑)

やはり、この服は正一さんの家にあったのですね。(笑)

>以前「正一丸」が元祖という記事というのがコレですね。

そうです。
 「郷愁の四日市祭」と「大入道報告書」の伊勢新聞の明治記事は、私が取りまとめたものなのですが、あれは「明治時代」に絞ったので、大正2年のこの記事は載せませんでした。
 四日市祭の鯨船の起源を記したものには、他に明治23年10月5日付の記事もあります。この記事は要約すると、「今から70年ほど前(1820年頃・文政年間)に、四日市の名主である伊達太右衛門が北納屋町に鯨取りの練を許した。その後、同様の練を近隣町である南納屋と袋町へも許すこととなる。当時の船は竹製で花染の木綿に墨絵を写したもので装飾をし、屋形もない粗末なもので、祭礼ごとに作り変えていた。あるとき、袋町の岩田久六が1年をかけて立派な装飾を施した鯨船を秘かに拵え、翌年の祭礼に練りだしたので、他の両町もこれにならって競って綺麗な鯨船を作るようになった」というものです。原文は「大入道調査報告書」の巻末資料編をご覧下さい。
 この記事と大正2年の記事を総合すると、鯨船の起源が北納屋、現在のような華麗な鯨船のさきがけは袋町ということになります。
 南納屋の皆さんすみません。これは、あくまでも伊勢新聞の記事ですから………

>西町の神輿や浜田の舞獅子は現存している訳ですから、責任は重い?というか鍵を握っている?んですね。

 確かにそうですね。
 祭りの構成をきちんとしないと、せっかく斎行しても、忘れ去られるし、みんな知らないですもんね。この写真を撮影したときも、ほとんど観客がいない状態でした。
 祭礼は神の御心を慰めるものですから、人に見てもらうものではないですが、やはり多くの方に知ってもらうことも大切ですよね。
 あつかましく主張することはないですが、伝統は守っていきたいです。
 (南浜田の花納めはかなり崩れてしまいました。今年はもっと本格的にやりたいなぁ。(笑))
 

ぜひに!

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月13日(土)10時27分44秒
返信・引用
  と言いたいところですが(笑
まぁ、どうしてもっていうなら?考えなくも無いですが??(大笑

まだ修行が足らないので(笑)、freakesさんみたいな感じで、お稽古や諏訪さんの練込み前に遊びに行けたらと思います。
 

ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月12日(金)01時31分44秒
返信・引用
  鼓太郎さん
ありがとうございます。
何度もいいますが、まだ若いのに、やっぱり?ホンマ凄いですね。
どうです?納屋に引っ越してきませんか?あなたみたいな若い衆が必要です(笑)

祭り好きさん
ありがとうございます。
>四日市祭で神事性が顕著に見られる行事は西町の神輿渡御と四両の大山車・・・
やはり四日市祭の基となるこれらの山車等が揃わない限り、
四日市祭の価値は取り戻せないのでしょうか?
そうであれば、西町の神輿や浜田の舞獅子は現存している訳ですから、
責任は重い?というか鍵を握っている?んですね。
以前にもお話しされてた、昔に習う必要は無いかも知れないけど、
でも元々の四日市祭の事や郷土の歴史について知っておかなければならない
と思います(まだまだ勉強不足も私も含め)。
あと、何とか多くの子供達に意味や楽しさを伝えていきたいですね。
親の世代でもあまり知らない人が多いですから・・・。
>鯨船の記事
大変貴重な非常に興味深い内容ですね。ありがとうございます。
以前「正一丸」が元祖という記事というのがコレですね。
旧袋町の方からはそのような事を聞いたことがありましたが、
南納屋の私はなかなか町内で言えませんしね(笑)。
恐らく当時のこの記者の方は「正一丸」に付いて取材されたのだと思いますので、
当然話は袋町の方から聞いているはずですので、贔屓目になっているとも考えられなくはないのですが・・・。
しかし、思わず当時の状況を想像してしまうほど詳細に記事になってますね。
中でも一番興味深いのは、現在の富田の練り方では?と連想してしまうような演技の内容。
逆に富田は昭和10数年過ぎまでは横へ倒す練り方はしていなかったとの事も聞いてますので、不思議ですし面白いですね。
この事を生川半四郎さんに聞いてみたかったです。
>こんな写真
3〜4年前の写真でしょうか?
そういえば手前の赤いTシャツの人とよく似たTシャツがウチにもありますよ(笑)
 

やけくそです(笑)

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月10日(水)23時51分30秒
返信・引用
  こんな写真がありました。  

鯨船の記事

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月10日(水)23時26分42秒
返信・引用
  マニアックな長文投稿ついでに、鯨船のことも書き込みます。
もしかして、すでに投稿済でしたっけ???

●大名行列と鯨船(下)
  〜四日市祭の名物〜
 高尚な大名行列と、花々しいそして勇ましい鯨船は、四日市のいわゆる練物中面白いコントラストを示している。
 この沖で鯨の捕れたのは二十四五年前までで、四日市村、浜田村と隣り合っていた頃から、浜手は全く漁家蜑戸の集落で、藻塩焚く煙が磯馴松の間を流れた、詩的な眺めがあったのも、さまでの昔でないらしい。
 鯨船の山車は袋町の正一丸が元祖で、その次が南納屋の明神丸(原文では神明丸)、北納屋の勢州丸が一番新しいそうな。この三艘、芝屋形があって舷から船腹へ金糸で高縫のした幕を張り、塗に彫に金のかかった見事なもの。舳先の飾綱は金糸を糾交ぜ、正一丸のは一抱えもあって、これだけに五百余円を投じたとは驚かれる。
 船には幟から吹流し、飾りのついた銛などを飾って、大太鼓を打つ男が三四人。派手派手しいいでたちに襷鉢巻き、花笠かぶって薄化粧した年なら十歳そこそこの少年が五人、そのうちの一人が船長(ふなおさ)、他は左右に二人ずつの四艇艪。山車には綱をつけてシャツ股引に盲縞の腹掛、捩鉢巻きの少年が総出で曳き、同じ装束の若者が、足袋裸足で二三十人ずつ両舷に取りつき、芝居なら道具方の役回り。ヤッサ、ヨーサで船を操る。宛ら神輿を揉む格好で、勇ましいことおびただしい。
 船長は床机に腰を下ろし、日の丸の扇をかざして沖を見渡す。神田祭の木遣節に似て、調子のもっと低い、言いしらず悲壮な唄を、声自慢が音頭取り、それにつれて大勢のコーラスで囃したてる。それが流し唄と突き唄とある。流し唄は鯨を探して遊弋する場合に唱うやつで、吉田通れば二階から招くや、沖の暗いのに白帆が見えるや、文句は何でも応用するが、そのうちの、古いローカルカラーの残っているのを一つ紹介する。歌の中の野田は三重郡海蔵村の大字野田らしい。浜の老漁夫が青春時代の恋を語ったものか、あるいは野田に色茶屋でもあったものか、その辺は研究を要する。
「私の若い時や野田まで通うた
  ハヤシ「野田の河原で夜が明けた
 船長役の少年は床机を離れ、舳に仁王立ちの反身姿。双手を延ばし合わせて何やら投げるかの姿勢。塩を撒く形だと説く人もある。海若怒って波漸く高く、怒涛来って、船の木の葉と弄ぶ光景か。鼓声漸く急に船はグルグルと舞って、万字巴に廻るは廻るは。道具方は狂う。船は左右へ揺れる。竿立ちに大傾斜を示す。見ていても手に汗を握るばかり。船中の少年は危うく投げ出されそう。その足元には二三の若者が少年の足首をしかと押さえて、危険に備えつつある。差し詰め人形使いの役だ。
 やがて竹を曲げて組んだやつに黒布を張った鯨が船近くに現れる。二人の若者が鯨の胴へ半身を入れて担ぎ廻るのだ。この時「沖の鴎に」と突唄につれて、少年は銛を投げ、それが鯨に命中すると「サアコウレヲーヨ」唄につれて、船長はじめ五人の少年が天を仰ぎ双手を延ばし、反身になって海の幸を神に謝するかの様。
 それから「嬉しメレタの」で喜びの唄になって終わる。諏訪社前への曳込みの唄は「安芸の宮島」で、それからは以上の順、突唄から後のそれは恁う、突唄の中の「せみ」はせみ鯨だ。
「安芸の宮島廻れば七里
  ハヤシ「浦は七浦七恵比寿
「沖の鴎にせみが来る、サアセ・・ミは
  ハヤシ「来る来るノホホイ、オメレタヤ ヤッサ子ヤッサ子
「サヤコーレチーヨ
  ハヤシ「ダアデノホホイホイオメレタヤ
「ウヽレシメレタの若松様は
  ハヤシ「枝も栄える葉も繁る
「ウヽレシメレタの参れば伊勢も
  ハヤシ「オーヨタアデノホホイホイ 宇治橋よオメレタヤ
 以上は正一丸の唄で、明神丸も勢州丸となると、唄も節も大同小異。ただ突唄は同じ「沖の鴎」だそうな。面白いのは三艘を通じて何れも是れも太鼓が唯一の鳴り物で、威勢の良い若者が撥振上げ、皮も裂けよとばかり、その調子の緩急に応じ、鯨に追われた船が一町も駆け戻り、また疾風の如く進むので、綱引く子らが転んだら最期、将棋倒しに四五人も、車輪にかけて大負傷させたことさへ、以前から度々あったとは随分剣呑千万で、喧嘩も以前は珍しくなかったそうな。目まぐろしいが、胸のすく男性的な山車だ。
                      【大正二年九月二十七日・伊勢新聞】

「昭和3年9月20日付 大阪朝日新聞三重版」に掲載された明神丸の写真です。
   ↓↓↓↓↓
 

祭り好きさん

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月10日(水)21時05分6秒
返信・引用
  本当にいろんなことをご存知なんですねぇ!
尊敬です!!(日本語おかしいですねぇ 笑

諏訪さんの八百年祭の時に西町の神輿を拝見しましたが、「エイヤエイヤ」の御諏訪神輿とはまた違ったよさがありますね。

考えてみると、御諏訪神輿などの「揺れ」の動作は「反閇(へんばい)」に通ずるところがあるのかなと(またまた宗教的・呪術的な話になってしまいますが 笑)。

御幣は、まぁ言ってみれば看板についた飾りですよね。
「諏訪神社奉納」と言い出すと、どうしても神事的なことに結び付けたくなるんでしょう。
僕ら諏訪太鼓は、チームによっては太鼓に「四日市諏訪太鼓」と書いた御幣をつけますが、誰もが「飾り」という見方しかしていないと思います(苦笑
 

揺れる神輿・揺れない神輿

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月10日(水)09時17分14秒
返信・引用
  全国のいろいろな神輿を見ると、揺れる神輿と揺れない神輿があります。
中には、喧嘩神輿なんていう勇ましいものもあります。
「輿」はその名が示すように乗り物ですから揺れないのが基本です。しかし、いろいろな意味や謂れがあって揺れる(揺らす)神輿が多いようです。暴れるのが好きな神様だからとか、神の気持ちを鎮めるために揺らすとか、………
そういう意味では、鼓太郎さんがおっしゃるように「揺らすことに意味がある」のです。

しかし、四日市祭の神輿は揺らしません。
先頭には猿田彦神(天狗(天狗ではなく猿田彦なのですが一般的にはこのほうがわかりやすいでしょう)の面をかぶり、高下駄を履きます)が榊を持って道を清めながら進みます。
猿田彦神が天孫降臨のときに道案内をしたという故事に倣ったものなのでしょう。
そのあとに、大榊、四神を表した旗、(四神の造り物もありました)などが続き、笙・篳篥や、さし担いの楽太鼓など、楽人が雅楽を奏じ進みます。
そして、最後に水干姿の人たちに担がれた神輿が続くのです。
掛け声も無ければ、揺らしもしません。(歩く姿はすり足のようなヨチヨチ歩きです)
これが、伝統的な「四日市祭の神輿」のようです。
 

梵天

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月10日(水)08時53分35秒
返信・引用
  看板の形状が「練の目印」「背が高い」「幣がついて神の依代」の役割を果たすので「梵天」と言ってよいのではと考えただけです。
前にも言いましたが、四日市祭の「練り」は町内対抗の仮装行列大会ですから、もともと神事性はほとんどなく、そういう意味では「梵天」という呼称は不適切で、単に看板でいいのかもしれませんね。
(四日市祭で神事性が顕著に見られる行事は西町の神輿渡御と四両の大山車です。)

梵天とはもともと「ほて」という言葉が転訛して「ぼんてん」となり、仏教(正確にはヒンドゥー)の神名である「梵天」の文字をあてるようになったと言われています。
「ほて」とは、目印として立てるもののことで、特に竿の先に御幣をつけて祭りの時に立てるものや、境界線を表すために標識として立てたもののことをいいました。
また、新酒ができたことを告げる造り酒屋の軒に下げる「杉玉(酒林)」のことも「ほて」と言ったようです。
「ほて」が「梵天」と呼ばれるようになり、さまざまなお祭りで「梵天」が登場しますが、もともとは「目印として立てるもの」だったわけですから、さまざまな形のものがあり、また屋台・山車や御輿、太鼓台などで最上部にとりつける飾りの部分だけを「梵天」と呼ぶところもありますし、芝居小屋の櫓に立てる球状の幣束も「梵天」といいますから、「御幣」=「梵天」という単純なものでもないし、移動するものでもないようです。
(鼓太郎さん:確かに修験では幣束を梵天と呼びますね)
ただ言えることは、「背が高く目立つ」ということは共通項のようです。そこから、「神の依代」としての考え方が生まれ、シンボリックな存在になってきたと考えられています。

「目印」「背が高い」「シンボリック」こんな要素を持っていれば、「ほて」つまり「梵天」と呼ばれるのでしょうね。
 

スゴイ事に・・・(汗)

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月10日(水)01時15分24秒
返信・引用
  鼓太郎さん、なるほど、すごくお詳しいんですね。勉強になります。
南浜田の先看板を“梵天”と書いたためにスゴイ事になってますが、
実はあまり深く考えずに書いたんですけどね(笑)
当町は、羅紗地に金糸で「大漁」と書かれたもの(当町はこれを梵天と呼んでます)と、
南浜田のような幣が付いた町名の入った漆塗りの木札(これは看板と呼んでます)があります
(祭り好きさん、先輩方にいつのモノか聞いておきますね)。
本来、移動する時などはこの「梵天」と呼ばれる大漁旗より、当然先看板を先頭にしますが、
(現在は柱が折れている事もあり、軽トラに付けています)
ただ、四日市の鯨船は演技する際は、御祝儀を頂いた家や練受にはこの「梵天」と呼んでいる大漁旗のを掲げます。
南浜田などの他町は、漆塗りの木札を掲げる訳ですから、看板=(イコール)梵天なんやないかと思ったまでなんですけど・・・。
あと、船の艫に掲げるのているのは「幟(のぼり)」と「吹流し」と呼んでます(見たそのまんまです)。これは「梵天」とは呼んでません。
あと、
>神輿は「揺れる」ことに意味があるそうです・・・
は、御諏訪神輿のような激しい揺れの事なんでしょうか?
戦後生まれの江戸流の御諏訪神輿より、
四日市祭の中でも古い歴史を持つ西町の神輿はしずしずとしたおとなしいものと聞いてますが・・・。(写真でしか見たことはありませんが)
四日市は明治までは上方文化ですしね。
 

梵天

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月 9日(火)18時19分44秒
返信・引用
  僕の知る限り、「梵天」イコール御幣と考えてよいと思います。
神社でお払いしてもらうときの紙の多い御幣(ご想像ください)は、「祓串(はらいぐし)」といいます。
修験(宗派の一つと考えてください)では、祓い清める幣束(御幣)を「梵天」といいます。

そこから考えると、納屋の船は「船名旗」と「大漁」の二つの旗に幣(ぬさ)がついているので、梵天が二本と考えてよいのではないでしょうか??
北勢鯨船行事調査報告書によると、富田の北嶋組の「梵天」は船名を書いた看板に幣がついたもので、船にも御幣を積んでいるように思います。
そこから考えると、「御諏訪神輿」の先導の看板は梵天ということになります(梵天という呼び方をしているかどうかは分かりませんが)。
御諏訪神輿に関わらず、江戸の三社祭の先導も「梵天」です(看板はついていませんが)。

freakesさんのおっしゃるとおり、神輿は神の乗り物です。
ちなみに、神輿は「揺れる」ことに意味があるそうです。

神輿の先導の役割から考えて、梵天は「神の依代」というよりは、その場を「払う」ためのものと解釈してみてはいかがでしょうか?
 

ウハウハですね

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 8日(月)22時09分22秒
返信・引用
  いやー、素晴らしい。家族から何度とイノシシのテレビがやっていたと話を聞きました。
私自信は、見てないのですがうらやましい限りです。

梵天とよく耳にしますが正一さんの載せていただいた写真を梵天と言うと、鯨船の艫に縛り付けてあるものは、旗と吹流しといいますかね。
よく旗と梵天を混同するような書き方の本やビデオを見受けられます。私も旗の事を梵天だと思っていました。
梵天を神の依代だとすると鯨船自体は、依代でないという解釈になるのでしょうか。
よく神輿なんかで神の乗り物という言い方をすると思いますが、諏訪神輿で梵天は、無いのでしょうか。
祭り好きさんに教えて頂いたように、三重県立図書館で伊勢新聞のマイクロフィルムを見ていたら諏訪の記事に出会いました。
 

梵天

 投稿者:祭り好き  投稿日:2007年 1月 7日(日)10時21分55秒
返信・引用
  正一さん

 南浜田では「梵天」という言葉は使わず、ただ「看板」と呼んでます。
 でも、看板というより梵天のほうがいいですね。
 ただ単に、町名を示したものというより、
 背が高く先端に幣がついていますから、
 神の依代(よりしろ)としての役割を果たしていますもんね。
 今後、南浜田でも梵天と呼ぶように仕向けて(笑)いきますね。

 ところで、南納屋さんのは戦前のものですか?
 それとも、戦後、再作成したものですか?
 最近では、軽トラの屋根のところにとりつけられているようですが...
 中納屋は桶ノ町だったから、戦後のものでしょうし、
 比丘尼町のものも戦後のものですよね。
 南納屋(大南納屋)のだけがどうなのか気になってました。


 NHK・CBC・東海・三重の各テレビ
 中日・読売・毎日の各新聞に取り上げてもらいました。

 これがきっかけになって復活できることを祈っています。
 (祈るなんて第三者的な立場ではだめですよね。
  がんばらなきゃ!!(汗))

 明日は、伊勢のおかげ横丁で伊勢大神楽(石川源太夫組山城社中)です。
 

freakesさん、おおきにね!

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 7日(日)05時50分40秒
返信・引用
  freakesさんのリクエスト&御協力を得て、
四日市祭関係の動画を追加しました。
まだまだ、とりあえずって感じですが、
徐々に解説も詳しく書いていきますので
みなさんよろしく!

<写真:「富士の巻狩り」の梵天(看板)>
やっぱり「町名」はイイですよねぇ〜
 

僕も聞いた覚えが

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 4日(木)04時30分38秒
返信・引用
  鼓太郎さんが書き込みした、「納屋の船は(船体の内部の)ヘサキのほうに砂袋をつるしている」は、正一先生が詳しくご存知かと・・・・  

書き込みありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 4日(木)00時25分16秒
返信・引用
  四日市と富田の船の見た目での違いは、大きく二つに分かれていると思います。
>立て揺れの練をしやすい・・・
>重心はヘサキに寄る・・・
鼓太郎さんのいうとおり、四日市は縦ゆれの練り方がしやすくなっています。
当町の明神丸や戦災で焼失した正一丸や勢州組、
そして古い四日市の船が飛び火したとされる
楠の龍神丸、磯津の大正丸、七つ屋の勢州丸の特徴は
まず、ミヨシが長い・・・これは重心を前に置きやすくなっていると思います。
そして、トモの床(トコ)の位置が高い・・・これは縦ゆれの演技の際等に使用しますね。
そういえば、以前freakesさんとゴマの幅や位置などに関しても
違いをアレコレ話しした事を思い出しました。
>明確に人の配置や役割を決めていない・・・
今はそうなっているのかも知れませんが、
今でも何人か「七つ屋や磯津に演技を教えに行った」と
ハッキリ言ってる先輩方がおられますので、
最初は四日市(納屋)の練り方で始まっているはずですよ。

<写真:イオン四日市北店に展示されている 南浜田「富士の巻狩り」の雄猪。>
9日まで展示されてます。祭り好きさん、今回はカメラ忘れませんでしたよ(笑)。
 

人員の配置

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月 3日(水)20時53分5秒
返信・引用
  磯津の船は、ゴシャク部分の手すりにぶら下がるのが三名と、船を背中で押し上げるの(分かる人にはわかる表現です 苦笑)が三名〜四名(ほとんどの写真が三名)で、ハラにつくのは総勢で十二名ほどです。
トモには4、5名といったところでしょうか?

磯津と七つ屋の船はサガリの房が長いですよね。
そんなに重量がないにしろ、重心はヘサキに寄るのではないでしょうか。
・・・ということは、立て揺れの練をしやすい。間違いないですね。
「納屋の船は(船体の内部の)ヘサキのほうに砂袋をつるしている」と、どこかで聞いた覚えがありますが、それも同じような理由でしょう。
 

七つ屋に忍んで3

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 3日(水)13時22分38秒
返信・引用
  鼓太郎さん、そうすると塩崎神社の大麻は、なくて御園神社の大麻なのですね。
七つ屋の人間が出て行って磯津を作っただけあって、大麻も深い関係のようなものがあるのですか。でも残念です、塩崎神社があればコンプリートできると思っていたのに。
七つ屋の踊子の絵は、私も富田に近いと本当に思いましたが。

正一さん、楠と磯津が南納屋のように明確に人の配置や役割を決めていないように、おそらく七つ屋にも明確な決め事は、無かったんじゃないかと思います。
前回に書いたハタシの呼び名や装束の色と同じで、新しい船の特徴だと思っているのですが。ちなみに南納屋のK師匠は、ハタシと言っておりましたが、楠でも古老の中にハタシとおっしゃる方がお見えになりました。
逆にお聞きしたいのが、以前に小柄な勢州組は、人の付き方が違うとおっしゃっていましたね。五尺のところまで人が付いていると。そうするとあながち人が少なくもないんじゃないですかね。
面舵のロコギが立っているのは、立たないと顔が描けないじゃないですか(笑)
諏訪神社は、とことん大入道びいきのようですね。

今回の写真は、ふさ持ちです。
この役割がいる時点で、縦練間違いなし。磯津ほどで無いにしろ、ふさが地面に付くほど練っていたのでしょうか。
 

まだ2日ですよ

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 2日(火)23時28分59秒
返信・引用
  >歴史の古い鯨船においては・・・「ハタシ」・・・
う〜ん聞き捨てならない発言ですな。四日市(納屋)は「オドリコ」ですぞ。
この「ハザシ」と「オドリコ」については、
『鯨・勇魚・くじら』(市博物館発行)の中で東條寛さんが書かれてますよね。

>七つ屋に忍んで・・・
果たして実際の練りを忠実に描いているかどうかがありますが、
そうという前提で意見を言いますと、
まず、船につく若衆の数が少ないですね。南納屋の場合、オモテ(前)側から前役3人、腹役3人、中床、外床、チリ・・・と片側で9人ずつ付きますから・・・。
あと、取梶側のロコギ2人は座っているのに面梶側は立ち上がってますね。不思議です。
しかし、あくまで芸術的な絵ですので、
あまり気にしなくていいのではと思いますが・・・。

鼓太郎さん
塩崎神社のお札・・・freakesさんがヨダレを出してませんか?(笑)

<写真:「大入道」のお守りがあるのだから「鯨船」を探しましたが・・・。>
 

塩崎神社のお札さん

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月 2日(火)21時46分22秒
返信・引用
  磯津の祖父母の家の神棚には御薗神社の大麻です。
たしか御薗神社の神主さんが塩崎神社も参りにきてくれているようです。

七つ屋の船の絵で踊り子が扇を持っている場面は、磯津や納屋の練の流れなら反撃される前ではないでしょうか?
富田の場合は反撃を受けて後退し、「さぁ浮いたわいな」でまたデンコンデンですが、磯津や納屋の練の流れならそこから太鼓の調子が変わって、船と鯨の「激しい攻防」になりますよね。
踊り子の所作や腰もちの動作などは、絵と実際では多少違いがあるかもしれませんが、この絵の通りなら富田の踊りに近いですねぇ〜
 

七つ屋に忍んで2

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 2日(火)09時36分59秒
返信・引用
  以前載せた絵をアップしたものです。
まず目に付くのが「踊子」の文字です。富田の浜地区や南納屋において「ハザシ(羽刺)」とか「ハタシ」と呼ばれているものです。歴史の古い鯨船においては、実際の鯨捕りに使われた「ハタシ」と言うのですが、楠や磯津や七つ屋では「踊子」と言うようですね。
また「踊子」と「櫓漕ぎ」の衣装が赤でない所も、近年になって鯨船を初めた特徴だと思います。
また、七つ屋の唄をテープで聞くと現在の磯津に近い囃子をしているのですが、櫓の角度が深い(水平でなく垂直に近い)点と、踊子が銛を持っているのに足持ちが前を向いている点で、磯津のように激しい練で無いような印象を受けます。
激しく練れば踊子が落ちないように体を支えるため、後ろ向きで体を丸めて支える必要があると思うのと、櫓の角度を水平に近くして、櫓をしっかりと船に縛って落ちないようにする必要があると思うからです。
この絵の櫓の角度は、比較的船に衝撃が少ない龍神丸よりきつい印象を受けます。
銛を持っている時点で一度鯨に追いかけられて再度鯨を追い詰めている場面にも見えますが、南納屋や磯津で見られる踊子が五尺の飾りにタッチするように大きくのけぞる所作が無く、なぜか富田の踊りに近いような印象も受けます。
船に付く若い衆は縦練に間違いないような手の置き方をしています。
 

南浜田「富士の巻狩り」

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 2日(火)01時03分54秒
返信・引用
  祭り好きさんが関係しておられる
南浜田の練り「富士の巻狩り」の雌猪です。
諏訪神社の拝殿に3日の18時まで飾られているとの事ですので、
みなさん是非、諏訪神社へ観に行ってください。
雌とはいえ、おっきいですよ。
 

平成十九年

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 2日(火)00時49分37秒
返信・引用
  freakesさん
新年そうそう鯨船を追っかけてますねぇ。
鯨船ファン化してるようにみえますよ(笑)
>綺麗な絵
七つ屋の絵は休止ししてしまっている今では大変貴重な資料となりますね。
それにしてもかなり詳細に船体の飾りなども描かれてますね。

<写真:諏訪神社 H19.元日>
 

七つ屋に忍んで

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 1日(月)18時00分59秒
返信・引用
  綺麗な絵ですね、皆さんいろいろと気づく事があるのでしょうか  

おめでとうございます

 投稿者:freakes  投稿日:2007年 1月 1日(月)16時00分7秒
返信・引用
  昨年は、大変お世話になりました。
本年もよろしくおねがいします。

塩崎神社のお札ってうっているのでしょうか?
 

新年

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2007年 1月 1日(月)12時25分18秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。
本年も楽しくよろしくお願いいたします。

諏訪神社奉納も頑張りましょう!
 

恭賀新年

 投稿者:正一  投稿日:2007年 1月 1日(月)03時28分12秒
返信・引用
  祭を愛するみなさま。
郷土を愛するみなさま。
新年あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!!
 

大猪

 投稿者:祭り好き  投稿日:2006年12月31日(日)09時57分42秒
返信・引用
  正一さん
 カメラを忘れたのですか?
 9日まで展示してますから、もう一度行ってくださいね。(笑)
 細かなことを言うと、看板もけっこういいもんです。
 棹の金具にはちょっと変形した梶の紋が彫られていて
 昔の人は凝ったことをするもんだと思います。
 昨日は中日新聞に、今朝は読売新聞に掲載していただきましたし
 29日は三重テレビで、昨夜はCBCテレビでも放送されました。
 これがきっかけになって、
 来年の四日市祭に出ようという機運が盛り上がればと願っています。
 ただ、南浜田は舞獅子もあるので、それが悩みの種ですね。

 今日は、これから諏訪さんへ雌猪の奉納展示。
 そのあとは、伊勢大神楽の年越しの舞を見物に
 滋賀県東近江市の野々宮神社へ出かけます。
 祭りで締めくくり、祭りで新年。(笑)

 来年もよろしくお願いいたします。
 

ジャス北で四日市祭

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月31日(日)02時24分6秒
返信・引用
  南浜田「富士の巻狩り」の大猪を見てきました。
はじめてじっくりと見ましたが、
いやぁ、スゴイ大きさのモノを二人で被って演技できますね。
クジラよりずっとずっと重いように見えました。
残念ながら、カメラを忘れて画像はありません・・・(なんという失敗)。
 

ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月30日(土)02時19分21秒
返信・引用
  freakesさん、鼓太郎さん、祭り好きさん
書き込みありがとうございます。

祭り好きさん
ジャス北、これもまた素晴らしい活動ですね。
南浜田と四日市祭のいいアピールになると思います。
南納屋の私は、なかなか「富士の巻狩り」を観る事がありませんので、
じっくり観させてもらいます(笑)
それと「岩戸山」の方にも是非お話を聞いてみたいです。

鼓太郎さん
人違いですよ(笑)
おそらくfreakesさん一人で
「♪freakesさんがぁ〜チョメチョメ通いヤッサ!
治まる御代ヤトーセ♪(流し唄 囃)」
ですよ(笑)

freakesさん
ご自分のHP掲示板そのままに、いつも書き込みありがとうございます。
感謝です。
そうですよね、今一番人が集まる?ジャス北に
若一丸やクジラを飾りたいですよね。
 

もののけ姫の

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月29日(金)19時18分8秒
返信・引用
  「おっことぬしさま」に引けをとりませんねぇ?(笑

freakesさん
あの居酒屋のとなりの(銀行の)駐車場付近で太鼓のメンバーと待ち合わせていたんですが、あの時はfreakesさんと男性一人(たぶん祭り好きさん)でしたよ??
七時過ぎにはメンバーと忘年会に行ったので、freakesさんたちは二人でした。
あぁ、あと四年・・・(笑
 

おお

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月29日(金)06時15分50秒
返信・引用
  すごい迫力です。これは目をひきますね。

鼓太郎さん、祭り好きさんと正一さんもいなかったですか。
変ですね、三人で××(チョメチョメ)に行ったんですがね。
鼓太郎さんも大人になれば一緒に行きましょう。
 

大猪の展示

 投稿者:祭り好き  投稿日:2006年12月28日(木)21時44分18秒
返信・引用
  今日、イオン四日市北店へ富士の巻狩りの大猪を展示してきました。
たくさんの来店のお客さんも、珍しそうにこの猪を眺めておられました。
写メを撮っている人もみかけましたよ。
昭和23年に岡田屋呉服店(イオンの前身です)で誂えた
源頼朝公の装束もマネキンに着せて飾りました。
1月9日まで展示されていますので、ぜひご覧下さい。
なお、これより一回り小さい雌猪は
大晦日の夜から3日まで
諏訪神社の拝殿に飾られます。

 鼓太郎さん
  居酒屋前の人物の件
  たぶん ピンポーン!! です。
 

昨日・・・

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月28日(木)16時50分34秒
返信・引用
  19時ごろに、四日市の居酒屋の前でfreakesさんらしき人を見かけましたが・・・?
人違いだったかなぁ??

魁曲で獅子が肩に立つ(見たことがある人は分かるはず)は、いつ見てもすごいなぁと感心しています。
 

いたずらNG!!

 投稿者:祭り好き  投稿日:2006年12月28日(木)01時36分14秒
返信・引用
  イノシシにいたずらしないように!!
230年前から四日市に住み着いているイノシシですから
いたずらすると、罰があたりますよ!!

↓写真
これは魁曲ではなく、扇の舞ですね。
下の写真は魁曲です。
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月28日(木)00時35分3秒
返信・引用
  魁曲です、といいたいところですがあまりよくわかってませんので。
イノシシに悪戯してやりましょう。
 

小さい時から

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月27日(水)10時39分40秒
返信・引用
  祭りと紐が好きでした(笑

祭り好きさん
富士の巻狩りの展示、実現ですね^^
以前に弥な屋で聞いたんだったかな?
「『富士の巻狩り』の猪を飾る」と。
近鉄の太鼓の初打ちを見に行ったついでに諏訪さん行きますね〜

freakesさん
伊勢太神楽いかれたんですねぇ〜^^
写真は魁曲ですか??
 

ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月26日(火)01時32分4秒
返信・引用
  鼓太郎さん
結び方も詳しいんですね。
しかし、私があなたの年齢の時といえば、祭の知識なんかぜんぜんでしたんでね。
いやぁ、末恐ろしいですね(笑)

祭り好きさん
お世話になっております。
色々画像使わさせて頂いてます。
地味ですが、なんとか四日市祭に貢献できればと活動してますんで、今度ともよろしくお願いします。
そして、我等が freakesさん
ありがとうございます。
色々と引っ張ってってくれるんで、助かります。

置いていかれないようにしますね。
管理人もお任せしますね(笑)

すんません、携帯からの返信でした。
 

年賀状

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月25日(月)20時36分44秒
返信・引用
  祭り好きさん、書き込みありがとうございます。
正一様がpc故障中のために、私がというわけでもないのですが。
イノシシが展示されるなんてすごいですね、諏訪神社に展示するのはなんとなく判る気がしますが、イオン四日市北店に展示するのはすごいです。
北島組の目と鼻の先にあるにもかかわらず、練り受けはおろか展示の話もありません。
きっとピーアールが下手なんでしょうね。

干支にちなんで私も年賀状に「富士の巻狩り」の写真でも貼り付けようかと考えていたのですが、正月からあのグロテスクさは(失礼)
ちょと踏みとどまっていました。
でも、実際に行事を行っている人たちの熱意にうたれて、もう一度年賀状に使うことを考えて見ます。

伊勢神楽では、いろいろ良くして頂きましてありがとうございます。
 

来年は亥歳

 投稿者:祭り好き  投稿日:2006年12月24日(日)21時19分11秒
返信・引用
  初めてこの板におじゃまいたします。(でしたよね?)
祭りが大好きな「祭り好き」と申します。
正一さん、お元気ですか?

来年は亥歳です。
そこで、イノシシといえば「富士の巻狩り」(それほど馴染みはありませんね。(笑))
諏訪神社御鎮座800年祭以来、出ていませんが
四日市祭の南浜田の練りである「富士の巻狩り」を
何とか多くの市民に知っていただこうと思いまして、
みなさんのご協力をいただき、
干支にちなんで、お正月に、
大イノシシを展示させていただくことになりました。
1月1日から3日まで
諏訪神社の拝殿に雌猪を、
12月29日から1月10日まで
ジャスコ四日市北店(富洲原)に雄猪を
展示させていただきます。

干支にちなんだ縁起物ですので
どうか、みなさん、ご覧くださいますよう
よろしくお願いいたします。

【富士の巻狩りのオモチャ】
  岩戸山保存会の方からクリスマスプレゼントとして今日とどきました。
  富士山の上に馬に跨った源頼朝。そして大猪。面白く、そして精巧な創作玩具です。
 

サガリ

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月24日(日)11時38分36秒
返信・引用
  勢州組のサガリのしめかたは、飾り紐の結び方の「揚巻結び」の簡略バージョン(?)です。
富田の南嶋も中嶋も楠も同じです。

勢州組のサガリは綯われた綱ではなくて組みひものようなもの(?)故、飾り紐の結び方をしたのかもしれません。
(七つ屋町の新勢州丸も編みこんだようなサガリですよね)
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月24日(日)04時51分16秒
返信・引用
  >当町ではこのサガリを結び目をつくるのは、勿論若い者は許されてません

サガリの結び目って毎年作るのですかね。
北島は、結び目がある状態で、毎年保管しているようですが。
毎年結び目を作ると、作るたびにサガリの金糸がすれてボロボロになっていくような気がします。
 

すんません

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月23日(土)20時04分47秒
返信・引用
  ただいまPC修理中でして、返答ができません・・・。
ご迷惑をお掛けしてます。
 

おかしい

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月22日(金)01時01分41秒
返信・引用
  今の南島もおかしいけれども、勢州組もおかしい。
この、さかりの結び方に意味があるのかしら。
 

サガリ

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月21日(木)18時22分39秒
返信・引用
  磯津のサガリは逆に長いめです。
縄の締めかたは明神丸のサガリの締めかたを前後でやる(文で書くとわけが分からないですね 苦笑)だと思います。

北勢鯨船行事調査報告書の写真を見ると、龍神丸・神徳丸・感應丸と、勢州組のサガリは同じ締めかたですね。

昔の明神丸と正一丸のサガリの締めかたは富田の権現丸と同じような気がします。
 

さすが!ミスター鯨船行事!!

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月20日(水)23時51分22秒
返信・引用
  freakesさん、ありがとうございます。
南納屋も南島に同じく、何年前か直ぐには答えられませんが、
新調した際に全長が短かくなってしまった為に、
本式の結び方が出来なくなったとの事です。
当町ではこのサガリを結び目をつくるのは、勿論若い者は許されてません。
先輩方の口癖は
「昔のサガリはホンマ立派やった。今のは何でこんな風にしてしもたんやろ」です。
しかしアップして頂いた写真の結び方は、これはちょっと不細工ですね。

<写真:昭和初年頃の「明神丸」。>
この結び方が本式らしいです。
 

先生質問です

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月20日(水)23時15分54秒
返信・引用
  なんか、明神丸とずいぶんさかりのつきかたが違うようですが、どのやり方が本式とかあるのでしょうか。
南島は、新調した際にかつての結び方が出来なくなったと言っておりましたが。
 

チョメチョメ!?

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月18日(月)23時57分42秒
返信・引用
  freakesさん
>諏訪神社の裏の××(チョメチョメ)・・・
こらこら!そんな書き方したらみなさんに勘違いされてしまいますやんか!
お祖父さんが「正一丸」に付いていたという、同じ地区内の後輩が経営する
ただの「いぃざぁかぁやぁ」やろぉ!もう、かなんなぁ。
シルクハット通いの人が言うと妙に説得力があんねんから!
みんな騙されないでね!(笑)

鼓太郎さん
>23号線より東は、やけに静かに・・・
というか、23号線沿いの寂れが目に付きます。
この騒音と大気汚染、なんとかしてほしいものです。
今でも「勢州組」が生きていれば、北納屋町ももっと元気に・・・
なんて思ってしまいます。

<写真:昭和13年9月の北納屋町 鯨船「勢州組」>
 

諏訪神社の裏の××

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月18日(月)15時32分50秒
返信・引用
  どこの話でしょう??????????(笑

図書館で置いてくれないかなぁ・・・と淡い期待も抱いていますが。。。
それにしても9800円は高いです。

正一さん
>しかし、特に北納屋の寂れようは・・・
23号線より東は、やけに静かに感じました。
練庫を見つけただけで、祭を思い出せてワクワクしてしまいました。
 

もったいない(世界共通語)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月18日(月)01時16分2秒
返信・引用
  まあ、高いというのが本音ですかね。
以前、諏訪神社の裏の××(チョメチョメ)に連れて行っていただいたときに、おごってもらった金額と同等というとことですね(笑)。
ボーナスも出ましたし、機会があればまた二人で××(チョメチョメ)に行きましょう。
そのときに貸しますので、買うかどうか吟味してみては、いかがでしょうか。
 

9,800

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月17日(日)23時55分45秒
返信・引用
  >三重県絵はがき集成・・・
9,800円ですか・・・う〜ん、嫁を納得させるには難しい金額です。
鼓太郎さんもキツいでしょう?
freakesさん、お買い得度は如何ですか?

鼓太郎さん
納屋に来て頂いたんですね、ありがとうございます。
この地区の昔を知る人は、とても昔の面影などなくなってしまった・・・
といわれるほど寂れてしまっているのに
>テンション上がって・・・
なんて、嬉しい限りです。
しかし、特に北納屋の寂れようは、何とかしなければと思っています。
(なんとかしてみせます)
今度お越しの際は、連絡くださいね!
 

三重県絵はがき集成

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月17日(日)22時20分20秒
返信・引用
  昨日四日市の白○に行ったら、偶然見つけました。
急いでいたので立ち読みすることも出来ませんでしたが・・・
1500冊限定出版なんですね(しかも増刊もなし)。

今日、初めて「納屋」へ行きました。
最初は北納屋の大師寺周辺をうろついてて、どこかで見た公園・・・
「北納屋」の看板が・・・
勢州組の練庫跡の公園でした!
大師寺さんの山号は「勢州山」。
勢州組と因縁があるような無いような??

南向いて走っていったら「中納屋」の看板と、おにゅうどうさんの練庫を見つけて、テンションが上がってまた南へ・・・
とうとう南納屋へ!
明神丸の練庫も見てきましたよ!
 

freakesさん

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月17日(日)12時28分9秒
返信・引用
  ありがとうございます。
最近忙しすぎて、なかなかHP更新できません。
「三重県絵はがき集成」面白そうですね。
「我が故郷はかくも美しく輝いていた」・・・
特に今の四日市に投げ掛けたいイイフレーズですね。

>楠のページ
写真の数が多いからスゴイですよね。撮影班の方が多いのでしょうか?
みんなでアクセス数に貢献しましょう(笑)

<写真:潮吹き防波堤>
 

楠のページ

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月16日(土)20時00分16秒
返信・引用
  楠のページに、今年の祭りの写真が載っています。
富田と四日市のジャニーズも載っています。
こうやってアクセス数に貢献するのでした。
 

自慢話

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月15日(金)23時28分19秒
返信・引用
  今日、「三重県絵はがき集成」という本を買いました。
昔の三重県の風景が載っていて、とても面白いですよ。
諏訪神社の昔とか一本松とか、富田浜の海水浴とか。
 

丸坊主

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月13日(水)23時24分57秒
返信・引用
  鼓太郎さん、今も丸坊主ですか?
freakesさんもそうですよね。
いやぁ、実は私 正一も、今年は丸坊主にしました。
(社会人になってからは初めて)
過去、祭りでは、茶髪、金髪、長髪と・・・先輩達からは注意を受けてましたが、
今年はかなり気合が入ってましたから、丸坊主!!でした。
(結局、四日市祭中止でただの怖そうな人!状態に・・・)

<写真:四日市祭中止で飾り付けができなかった「明神丸」>
 

happyさん、ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月13日(水)23時09分12秒
返信・引用
  すんません、余計な質問してしまって・・・。
>女で祭が好きなのは・・・
とんでもない、全然変やないですよ。
こんな男くさいHPにいつもありがとうございます。
そんな鯨船のHPに書き込んで頂いているのですから
嬉しい限りですよ。

でも、当町の祭も、女の子が出来る役は一部のクジラでしかありません。
(これも数年前にやっと解禁?された事)
happyさんのような祭り好きの女の子を大切にし、
今は一部のクジラ役しかありませんが、前にも申したとおり、
女の子も祭りの血にしていきたいと思ってます。

これからもドンドン書き込んでくださいね!

<写真:当地区のカワイイ子供たち>
 

やっぱり・・・

 投稿者:happy  投稿日:2006年12月12日(火)20時14分25秒
返信・引用
  はい、女性です。すいませんm(__)m
やはり女で祭が好きなのは、変ですかね?
でも、このホームページを見て勉強になりました。
また、いろんな事教えた下さいね(^o^)
 

そうです^^

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月12日(火)14時51分56秒
返信・引用
  あのプロフィールの似顔絵は僕です。
そのまんまです^^

happyさんに同じく、おそばせながらお誕生おめでとうございます!
 

ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月12日(火)12時46分32秒
返信・引用
  happyさん、
どうもありがとうございます。
直接祭ではないのですが、この町では全て祭に関係します。
(ハッキリ言えなくてスンマセン)

ところで
間違っていたらすんません、
ひょっとして、happyさんて女性の方ですか?


<写真 H17.8 明神丸飾りつけ>
 

そういえば

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月12日(火)12時20分25秒
返信・引用
  鼓太郎さん、勝手にリンク入れちゃいましたよ。
バナーも勝手に作っちゃいました。よかったかな?
ところで、プロフィールに坊主頭のコが描いてありますが、
これは鼓太郎さんの顔?
 

来年・・・

 投稿者:happy  投稿日:2006年12月11日(月)20時18分28秒
返信・引用
  へ〜今年以上の大役ですか・・・いったい何の大役なんですか?お祭り??

あっそういえば遅ればせながら誕生日おめでとうございます。
 

雨対策

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月11日(月)15時40分18秒
返信・引用
  大正丸みたくなってますね(苦笑

H16年の夏祭り・・・台風接近の年でしたっけ??
 

大上のWクンよろしく!

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月11日(月)00時18分43秒
返信・引用
  来年から、今年以上に大事な役を頂きました。
「南納屋町、港地区のために少しでも貢献できるよう頑張ろう・・・」
と誓う正一であった。


<写真;H16年大四日市まつりでの雨対策「明神丸」。旧袋町「矢田専売所」前で。>
 

なんで知ってるの?

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 9日(土)01時58分52秒
返信・引用
  山の平さん
いやぁ誰よりも早くありがとうございます。
あなた、もしかして・・・
あっ!アイツやぁ!
年は順番ですからね。
「ナメられるから早く歳とりたい!」や
「オッサンなってたまるか」などなど
今まで年齢に関しては色々な考えを持ってきましたが、
結論は、「まぁ、順番やからしゃあない」です。
 

何歳になりましたか?

 投稿者:山の平  投稿日:2006年12月 9日(土)00時45分10秒
返信・引用
  ハッピバースデーMr.正一さん。
おいくつになりました?
えっ!!内緒!?
 

結局

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 7日(木)23時12分50秒
返信・引用
  「権現丸」のストラップ?・・・何やったんでしょう?  

なるほど、勉強になります

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 6日(水)12時45分7秒
返信・引用
  >自分たち・・・に使うのは畏れ多いので、わざと逆・・・
たしかにそういう事もあるのかも知れませんね。

例えば、大正丸に右回りも左周りも両方あるのは、
畏れ多い反面、
『宮さんの紋』もそのまま使いたい・・・
という思いなんでしょうね。
勉強になります。

四日市の練り物(戦前含め)は全て「鬼梶」でないように思います。
という事は、畏れ多い m(__)m
・・・想いが富田や磯津よりは強い?


<写真:大正11年か13年の 袋町「正一丸」>
 

区別

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月 5日(火)22時55分7秒
返信・引用
  >三つ巴の話ですが、やはり鼓太郎さんの区別するという話は、なにと区別しているのでしょうか。
「『宮さんの紋』をそのまま「自分たちの船の紋」に使うのは畏れ多いので、わざと逆にしたり円で囲ったりしたりする」、という意味で「区別する」という言葉を使わせてもらいました。

諏訪さんの紋が「鬼梶の紋」に対し、明神丸のヘサキの紋が「梶の紋」なのもなにかわけがあるのかなぁ〜と思った時期がありましたが。。。(鬼梶も梶もたいしてかわりは無いですが)
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 5日(火)21時55分30秒
返信・引用
  深夜なのにテンションたかいですねー。
三つ巴の話ですが、やはり鼓太郎さんの区別するという話は、なにと区別しているのでしょうか。
 

ゲゲゲの鼓太郎さん

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 4日(月)01時07分45秒
返信・引用
  ♪カラ〜ンコロ〜ン、カランカラン、コロン♪
(鼓太郎さん失礼しました)
すんません、話題を変えましょう!
えぇ〜っと、まず
勢州丸と大正丸の上貫木ですね。
鼓太郎さん、再度お写真ありがとうございます。
でも、大正丸のは勢州組&勢州丸のモノとはちょっとデザインが違いますね。
大正丸独自のモノでしょうね。

三つ巴について
これは右回りと左回りのどちらでも良い・・・でまとまったんですか?

>富田は蜃気楼と蛤・・・
もともと焼き蛤は、桑名ではなく富田が名物だったらしいですよ。
富田は桑名藩領だった事から「桑名名物焼き蛤」と・・・。
おそらく博物館にも広重の富田の絵があったんやないですか?

「大入道」(オニュードーさん)の昔話
は、いくつかありますが、
この旧桶之町「大入道」山車と 旧蔵町「岩戸山」山車、
それに 旧中納屋町「唐子遊び」山車の
作者は人形師 竹田寿三郎と藤吉の父子(?)の作品であり、
当然、
>タヌキ退治の「大入道」・・・
の昔話を意識して造ったんだと思います。

あまりにも多くの話題が挙がってましたので、
とりあえず、手短に書きました。
すんません。

<写真:以前freakesさんのHPでアップして頂いた勢州丸の写真です。freakesさん、よろしいですよね?>
 

なんか妖怪

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 4日(月)00時04分36秒
返信・引用
  ええ、泣いてますとも。
こんな公の場で無知を披露したんですから。
♪うぇーん・うぇん うぇん ぐすん♪
 

freakesさん

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 3日(日)23時38分10秒
返信・引用
  博物館、やはり行かれたんですね。
私は当分行く予定はありませんが・・・。
>勢州って三重県・・・
えぇっ!?
ホ、ホンマに知らなかったんですか?
全国的によく聞くのものでは、
薩州(薩摩:鹿児島)とか信州(信濃:長野)をはじめ色々ありますが、
三重県でも勢州(伊勢ノ国)や紀州(紀伊ノ国)は
よく聞くはずなんですが・・・。
天国の勢州組や勢州丸が泣いてます。
 

勢州

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月 3日(日)21時34分32秒
返信・引用
  ここいらは昔は「伊勢の国」とか「勢州」といったそうです。
ちなみに僕らは「伊勢の国四日市諏訪太鼓」と口上を上げます。

巴の紋は「魂を表している」説や、水滴や雨など「水に関わる神の紋」説などあります。
宮さんの紋と区別するためにわざと反対にしたり、円で囲ったりしたりするそうです。

タヌキ退治の「大入道」とタヌキが主役の「岩戸山」・・・
なんだか因縁がありそうですねぇ・・・
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 3日(日)21時24分44秒
返信・引用
  今日初めて知りましたが、勢州って三重県の昔の地名だったんですか  

博物館へ

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 3日(日)21時19分12秒
返信・引用
  下の写真は、四日市を描いた絵とされていますが。博物館によると、幕末から明治初期にすられた「木版伊勢四日市諏訪明神御祭札黎物」の中に登場する大入道に「百物語」と書いてあり、当時は百物語の一つの山車として大入道があったために、四日市のイメージがこんな妖怪ハウスみたいになったかもしれないということです。
しかしこんなイメージ嫌ですね。あくまで四日市の話ですから、富田は蜃気楼と蛤の浮世絵がありましたからね。
東海道を描いた浮世絵に「七つや」の地名を見つけました。
 

鼓太郎さんへ

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 3日(日)21時06分20秒
返信・引用
  そうしたら、右でも左でもどっちでも良いことになってしまいますね。
うーん、意味としたら渦巻きを現しているようなこと書いていたから、どっちでも良いのかしら。

今日、博物館に行ってきました。
「浮世絵に描かれた四日市」というテーマで展示をしていましたが、なかなか面白かったです。
戦後の鯨船を撮ってあるモノクロのテープの所有者を教えていただけるようなことも言っておりました。
 

おはようございます

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年12月 3日(日)09時37分45秒
返信・引用
  正一さん
勢州丸の写真を見るのは二度目です。
「銛受の後ろの上貫木がネジった形状に・・・」たしかに、そう見えますねぇ・・・
磯津も、ネジったとまでは言いませんが、カッ○えびせんのようにネジったような模様になっています。

freakesさん
またまた磯津の話で恐縮ですが、磯津の船のミヨシの先端の巴の紋は左三巴でした。
しかし、太鼓の櫓の脇障子と小ミヨシの彫物は右三巴です。

写真は以前にも張り付けた生入れの模様。
ミヨシ先端の巴と小ミヨシの巴が反対まわりです。
 

freakesさん、失礼しました。

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 2日(土)00時23分39秒
返信・引用
  よく見るとやっぱ違うかな?
でもこの形状は北納屋町を習ったんでしょうね。
 

北納屋町 鯨船「勢州組」

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 2日(土)00時20分6秒
返信・引用
  北納屋町 鯨船「勢州組」の写真です。
七つ屋町「勢州丸」と比べて見てください。
両船とも銛受の後ろ上貫木がネジった形状にデザインされてます。
これは間違いなく「勢州組」のモノ?ではないでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年12月 2日(土)00時08分56秒
返信・引用
  富田の神徳丸も同じような事をやっておるのですが、どうして社紋が左三つ巴なのに飾りが右三つ巴なのでしょうか、御園神社も左三つ巴だと思うのですが。  

勢州丸の話

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 1日(金)23時52分39秒
返信・引用
  七つ屋町 鯨船「勢州丸」は、
明治の終わり頃(38年と聞いてますが)、
四日市の北納屋町 鯨船「勢州組」(丸とはつけない)が裸船を新調する際に
この古くなった裸船と飾り類を七つ屋へ渡ったといわれています。
「勢州組」の名と同じ「勢州」をつけ「勢州丸」としました。
その後、楠の「龍神丸」を手本に造り変えられたとはいえ、
一部の飾り類は北納屋町「勢州組」のものが今も残っています。
写真は七つ屋町会議所の飾られている「勢州丸」の写真です。
私は「勢州組」の昔の写真を何枚か見ていますが、
この「勢州丸」の写真を見て、
すごく「勢州組」の面影というか雰囲気を感じました。
特にミヨシの感じや船体のスマートさが・・・。
 

ありがとうございます

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 1日(金)23時37分22秒
返信・引用
  happyさん
暖かい御心遣いありがとうございます。(涙)
そうですね、お互い風邪には気ぃつけましょう!

<写真:コクジラたち>
 

あっ!!

 投稿者:happy  投稿日:2006年12月 1日(金)18時43分20秒
返信・引用
  ↓PC素人丸出しの事をやってしまいました・・・(^_^;)  

そうですね。

 投稿者:happy  投稿日:2006年12月 1日(金)18時17分22秒
返信・引用
  仕事も大変ですよね。
あまり無理をなさらず、
今の季
節は風邪がはやっていますから・・・
 

すんません

 投稿者:正一  投稿日:2006年12月 1日(金)12時56分31秒
返信・引用
  freakesさん、ありがとうございます。
ここんとこ仕事が忙しく午前様が続いてましたので・・・。
落ち着きましたら、掲示板ばかりでなく、
本題も更新致しますので・・・。


旧感応丸はどうなってしまんでしょうね?
何とかならないんでしょうか?
 

気になることが

 投稿者:freakes  投稿日:2006年11月30日(木)22時36分48秒
返信・引用
  正一様の書き込みのお時間が、ずいぶん遅いのが気になります。
お体に差支えないようにがんばってホームページを更新してください。
 

七つ屋町 鯨船「勢州丸」

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月30日(木)02時41分59秒
返信・引用
  鼓太郎さん
そうなんです。深い眠り入ったままの
七つ屋町 鯨船「勢州丸」です。
あのfreakesさんとウチのK師匠と七つ屋町へ行ってきました。
(実は「中央小フェスタ」の日に・・・)
残念ながら、復活の兆し・・・というのは、どうやらしばらくはなさそうですが、
「勢州丸」は死んではいませんよ。

七つ屋町の皆様
その節は、大変ご無理言いまして、申し訳ございませんでした。
当日は、以前「勢州丸」についておられた方が何人も集まって頂き
大変有意義な時間を過ごす事ができました。
本当にありがとうございました。
 

祭の血

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月30日(木)01時15分46秒
返信・引用
  happyさん
何かの祭をされているような感じに受けとれましたが?
女の子の祭の参加は私は絶対必要だと思います。
(たしかに船につく事は出来ないのですが)
子供が大人になるのなんて「あっ」という間です。
その祭を経験した人の子供は、
“祭の血”になる可能性も多いはずですしね。

<写真:コクジラ隊 H18.9>
 

わかった!

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年11月29日(水)16時38分53秒
返信・引用
  あの船は七つ屋の新勢州丸!
スッキリです^^(笑
夜叉神天は僕です。
磯津の写真が一番手に入りやすいので、とりあえず磯津中心にやっていきますね。
それはともかく、七つ屋の船の写真・・・まさか、新勢州丸復活のきざし!?

happyさん
はじめまして。
諏訪太鼓と鯨船と祭りを愛する太鼓打ち、鼓太郎です。
毎年祭りでは諏訪太鼓でフィーバーしてます(笑
投稿の内容からすると、四日市の方ですよね??今後ともよろしくお願いいたします。
 

めっちゃエエ町内

 投稿者:happy  投稿日:2006年11月29日(水)12時05分17秒
返信・引用
  いい町内ですね。とくに女の子が祭に参加できるなんて、
けど、船につくことは無理なんですね。
今年の秋祭りは残念でしたけど、来年の祭りは楽しみにしています。
freakesさん、鼓太郎さんも来年の祭りがんばって下さいね。
ちなみに・・・
正一さんは既婚者なんですね。
私も祭りに理解がある人をみつけたいな〜。
 

happyさん

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月29日(水)00時48分31秒
返信・引用
  実は、既婚者・・・なんです。
鯨船行事は、
子供からお年寄りまで参加できる祭なんです。
最近では、楠町をはじめ、当町も女の子が参加できるようになりました。
でも船につく者(保存会)だけでは当然、祭はできません。
婦人会や老人クラブ、子供会、青年会、組長、そして自治会など
本当、ヨコの繋がりを鯨船行事が作ってくれてます。
町内の子供たちは、みんな我が子のようにカワイイですよ。
ですから、私の場合、嫁は怒るどころか、
逆に、
祭にのめり込んでいてくれた方が、ある意味、イイと思ってるはずです。(汗)
(^ー^;A

<写真:H17年諏訪神社練込前にクジラ役が一服中>
(私は写ってませんよ)
 

鼓太郎さん

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月29日(水)00時42分47秒
返信・引用
  夜叉神天さんは、鼓太郎さん?なんでしょうか?
ブログをやっておられたのですね。
(当掲示板も訪問者がいない時はブログ状態ですが・・・)
早速、磯津の鯨船のページを作ったんですね。諏訪太鼓関係の情報も多いですね。
期待してますよぉ。

<写真:これでどこの船か分かりますね。H18.11>
深い眠りに入ったままでしたので、起こさないように、そぉ〜っと・・・
 

freakesさん

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月29日(水)00時32分21秒
返信・引用
  このキーホルダー?ストラップ?は何ですか?
いやぁ、さすが古川!やられましたねぇ!
ひょっとして、北島組をはじめとするハマの3組のもあるの?
 

とりあえず

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年11月28日(火)22時29分59秒
返信・引用
  楽天のブログのフリーページに、鯨船のページを作ってみました。

「ここ、間違ってるよ!」とか、「こんなこともあるよ!」ってことがあれば、ご意見いただけたらと思います。

鼓太郎

http://plaza.rakuten.co.jp/yasyazin/7000

 

えっ!?

 投稿者:鼓太郎  投稿日:2006年11月28日(火)18時01分47秒
返信・引用
  正一さん
あの船は明神丸ではないんですか??
トモの「鬼梶の紋」の飾りがないのは気になってましたが・・・
じゃぁどこの船なんですか・・・!?
実は伊勢音頭を篠笛の譜に起こそうと思って頑張ってるんですが、なかなかできません・・・

freakesさん
「恋人はいなくても、太鼓があれば満足!」
・・・同じくむなしくなってきた今日この頃です(笑
 

(無題)

 投稿者:freakes  投稿日:2006年11月27日(月)23時48分3秒
返信・引用
  「恋人は、鯨船です」と言うのがむなしくなってきた今日この頃です  

ども!!

 投稿者:happy  投稿日:2006年11月27日(月)19時55分15秒
返信・引用
  ちょくちょく掲示板見させてもらってます。お祭りがほんとに好きなんですね〜(^o^)
ところで皆さんは独身?既婚?たぶん独身かな〜?
さすがに祭り漬けだと怒られそうですもんね!!
でも、もし彼女(奥さん)がいたらよほど理解のある方ですな・・・冗談ですが(^_^;)
またお邪魔しまっす。
 

ところで

 投稿者:正一  投稿日:2006年11月27日(月)00時25分45秒
返信・引用
  鼓太郎さん、
freakesさんからの書き込みで、
大入道の顔した方が裸船の床ぎしを担いでいる写真ありますよね。
実はアレ、明神丸でも龍神丸でも大正丸でも、
ましてや富田の4隻の船でもないんです。
気付いてましたか?
 

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